川湯温泉ってどんなところ?

川湯温泉はアカエゾマツや白樺、ミズナラ、シナの木、ヤマウルシなどの美しい樹林に包まれた温泉街。東には摩周湖、西には屈斜路湖を擁し、そのどちらにも車で約15〜20分と、大自然の懐に抱かれています。川湯温泉は湯量が豊富で、入った瞬間にその良さを実感する事の出来る温泉です。温泉街から約2.5km離れた硫黄山をその熱源とする通称酸性明礬泉は殺菌力に富み、多くの皆様に絶賛されてきた北の名湯です。





        
川湯の歴史


浅野清次と川湯温泉

川湯温泉の前史は硫黄鉱山と共存していたようだ。明治19年、高橋貞蔵が料理店を兼ねた温泉宿を開いたが、硫黄山で働く人夫の賭博場と化し、ついに営業不能となって投げ出したという荒っぽい話が残っている。その後は現在の御園ホテル付近に、湯治者用の助け小屋がポツンとある無人温泉だったようだ。

こうしたさびしい川湯温泉の定住者第一号となったのは、新潟県出身の浅野清次である。浅野は厚岸の太田屯田兵村や標茶を経て仁伏地区の造材飯場に入り、その経験を生かして現在のホテル湯の閣付近に五ヘクタールの土地を得、明治37年に小さな湯治宿を開業した。それは付近に自生するアカエゾマツの丸太を半分に割り、それを組み合わせたロシア風の建物で、客間は七室程度の密林のなかの一軒家だった。浅野は妻と娘の三人で、粗末ながらも丈夫なこの宿を基盤に、大正末期まで川湯温泉を守り抜いた。

当時は、釧路方面よりも網走方面からの宿泊客が多かったという。それは鉄道が廃止された釧路方面よりも、明治23年から二年がかりで122名の囚人たちの尊い命を犠牲にして完成した、硫黄山から野上峠経由で網走まで通じる道が便利だったからである。

湯治客は川湯温泉の効能を求め、斜里や小清水や網走から、馬車に食糧や鍋、釜を積んで、野上峠を越えてはるばると川湯までやってきた。冬の得意客は冬山造材の人夫たちで、怪我をした馬も湯治客の仲間だったという。

大正15年ころから釧路まで自動車が通うようになったが、本格的な川湯温泉の発展は、国立公園指定運動の盛り上がりと、釧網本線の開通を待たなければならなかった。

昭和4年には釧路・弟子屈間が開通、翌年は川湯駅が開業、昭和6年には釧路・網走間が全通した。新線に乗車した観光客が激増し、弟子屈駅を基点として摩周湖や美幌峠に小さなバスが運行し、川湯駅からも川湯温泉へバスが接続した。屈斜路湖の遊覧船も盛んに運航されるようになってきた。

このようにして大正末まで一軒きりの川湯温泉も、昭和7年には五月女旅館(浅野清次の川湯屋の名称変更)、対岳館、川湯クラブ、紅葉館、湯本旅館、鈴木旅館、川湯ホテル、増本旅館の八軒に増加し、仁伏温泉も浜岡旅館がオープンして、屈斜路湖遊覧船の基地になっていた。




戦時中の停滞と戦後の発展

昭和9年に国立公園となり、一時的には繁栄したものの、戦火の拡大によってハイキングは山野跋渉、行楽は錬成と戦意高揚のために改称され、温泉は銃後を守る健康づくりの場という名目で、細々と営業する状態になった。バスはオンボロの木炭バス、列車も乗車券の発売制限というきびしさのなかで、旅館は廃業や身売りするものが続出した。




昭和16年頃の川湯温泉


しかし、戦後の立直りは意外に早かった。昭和22年には阿寒国立公園観光協会が、同25年には弟子屈観光協会が、27年には川湯温泉観光協会が発足してPR活動を実施するとともに、イベントや施設づくりに努力した。

阿寒観光に転機をもたらしたのは、NHKラジオで放送され、映画で全国的に大ヒットした「君の名は」の上映であった。昭和28年、佐田啓二、岸恵子、北原三枝の一行は美幌峠や硫黄山を舞台にロケを展開し、これが上映されると戦後経済の復興期と重なって、空前の阿寒国立公園観光ブームが到来した。

昭和30年代には「君の名は」ブームの余波が増幅し、国鉄が実施した周遊指定券制度や、北海道観光号と名付けた臨時列車によって、大口の一般団体や修学旅行団体が激増した。しかし、こうした好況のなかにも実現困難なアキレス腱があった。それはデカンショ観光といわれる半年間の冬眠観光である。最大の名所美幌峠や摩周湖、横断道路などは、降雪や悪路のため半年間閉鎖される。

デカンショ観光の返上には、昭和40年代後半までかかった。観光関係者の悲願が実り、国道243号の美幌峠が除雪道路となったのは45年、阿寒横断道路は47年で、昭和48年からは阿寒湖〜摩周湖〜川湯〜美幌峠〜美幌のパノラマコース(定期バスルート)が通年運行するようになったし、舗装工事もいちじるしく進展した。また、昭和47年には釧路・東京港間にカーフェリーが就航し、翌年から釧路・羽田間にTDAのジェット機が就航して、東京への直行体制も確立した。







こちらはお客様からご提供頂いたお写真です

撮影・画像提供:
東京都 堀越庸夫様 【昭和43年3月】



撮影・画像提供:東京都 堀越庸夫様 【昭和42年2月】



撮影・画像提供:東京都 堀越庸夫様 【昭和42年2月】






文章:(財)自然公園美化管理財団 刊 新・美しい自然公園3「川湯(摩周湖・屈斜路湖)」より抜粋